Portfolio Interviews 02 WHY に対する答えがあればいかなるHOW にも耐えられる── マイクロファイナンス3カ国同時立ち上げの舞台裏

( Profile )

五常・アンド・カンパニー株式会社 代表執行役 慎 泰俊様

1981年東京都生まれ。モルガン・スタンレー・キャピタル、ユニゾン・キャピタルで8年間にわたりプライベート・エクイティ投資実務に携わった後、2014年に五常・アンド・カンパニーを共同創業。グループ経営、資金調達、投資など全般に従事している。

五常・アンド・カンパニー株式会社

( Interviewer )

鵜野 幸太 Kota Uno

プリンシパル

起業したとき、「世界のどこの、どんな問題を直したくて、何がいけるはず!」と確信してスタートしたのでしょう。また、そのアイディアは何だったのでしょうか。

僕の家庭にはお金がなかったのですが、親の金策や奨学金のおかげで教育を受けることができて今があるので、途上国の低所得層への金融の提供こそ、自分がやるべきテーマだとずっと思っていました。その想いから、「民間セクターの世界銀行」として世界中に金融包摂を届けることをミッションに五常を設立しました。

意義だけではなく、収益化できる自信もありました。起業前にいたプライベートエクイティファンドでは、マクロが伸びている領域で事業をすることの重要性を体感していました。特に、金融はマクロ経済に比例して伸びる産業です。日本の高度経済成⾧期を振り返っても、今後成⾧の中心地となるアジア新興国で金融が成⾧することには確信を持っていました。

慎さんの強い思い、大きな事業機会や仮説も、納得感がありとても魅力的に感じます。
最初の確信は正解だったのでしょうか。

シードの3 億円は元上司・友人ら個人投資家から集めたのですが、法人投資家からは理解されず、苦しい期間が本当に⾧かったですね。事業の性質上、先に資金が必要なのに、全然集まらないんです。当時は投資家の新興国に対する興味がいまほど高くなかったですし、Fintech という言葉もまだ一般的ではありませんでした。

資金調達ができないと事業が伸びない、だけど、事業が立ち上がっていないので資金が調達できない、という循環参照を解けないうちは厳しかったですね。

この頃は、登り坂で自転車をずっと漕いでいる気分でしたね。頑張っても、頑張っても、前に進まないという感じで。これまでは頑張ったら成果が出やすい、仕組みが整った世界で生きてきたんだなと思いました。その時の3 倍頑張っているのに、数字的な成果は起業前の半分も出ないんですよ。

五常にも、そんな時代があったんですね。お金が集まらない中で最初はどのように事業をスタートしたのでしょう。

シードで集めた3 億円で、カンボジアのマイクロファイナンス事業者を買収するところからスタートしました。2014 年8 月ですね。150 名~200 名くらいの会社でした。買収当時のCEO 退任もほぼ決まっていたので、まず僕がカンボジアに1 年間住んで、次のCEO に引き継ぐまでは自分で経営していました。

その規模の会社を外から来た経営者が良くするというのは、難易度が高い気がします。

PE ファンド時代にターンアラウンドマネージャーの師匠がいたのですが、彼のやり方の見よう見まねで、まずは全員インタビューするところから始めました。会社について感じている不満を教えてください。どういう会社になったらいいですか。これまでどういう経緯で働いてきたんですか。とか。まずはこうして聞いたことから、組織や店舗のオペレーションを変えていきました。

その後にスリランカ、ミャンマーと1 年間で3 か国に展開していますよね。大きく事業が加速したように思いますが、資金調達の壁はどのように突破したのでしょうか。

シードの3 億円は、カンボジアでの買収、スリランカとミャンマーでの事業設立で使いきってしまいました。金融事業なので、ここから事業成⾧をさせるには増資をしないといけません。そこで法人投資家をたくさん回ってみたのですが、全く関心を示してもらえないんですね。2015 年の1 年間は全く資金調達ができませんでした。鼻で笑う人とかもいるんですよね。あるVC の人に「最終的にどれくらい資金が必要なんですか」と聞かれて、「民間セクターの世界銀行をつくるまでやるので、エクイティで2000 億円くらいは必要です」と言うと、鼻で笑われたことはよく覚えています。

このままだと事業が停滞してしまうので、方針を切り替えて全国の個人投資家をひたすら回ることにしました。株主の人に他の人を紹介してもらって、その人にプレゼンして、断られてもひどいことを言われても御礼状を書いて、ということを続けました。2016~17 年の頃ですね。

最初の構想が正解かわからない、苦しい時期が続きますね。ターニングポイントは何だったのでしょう。

友人から秘訣を教えてもらって、「大丈夫」を100 回言えばいいって言われて。今思えばただの精神論だったんですけど、不思議なもので、「大丈夫」ってひたすら自分に言い続けると、気持ちが前向きになってきて、それが相手にも伝わるんじゃないかなと思います。

それでついに、第一生命さんが出資してくれることになったんです。第一生命さんが五常の最初の法人投資家です。そのときダウンラウンドであれば出資してくれるという投資家が複数いたんですね。でもそれは社外取締役の方が絶対だめだと。ダウンラウンドのオファーを何度も突っぱねて、「大丈夫」と粘って説明と交渉を重ねた結果、第一生命さんが前回バリュエーションを維持して出資してくれることが決まりました。

それからの資金調達ももちろん苦労は続いたんですけれども、これがブレイクスルーになりました。第一生命さんの出資が2017 年9 月、ジャフコさんが2018 年6 月で。五常がインドのSatya に投資したのは、その1 か月後の7 月なんですよね。第一生命さんの出資を契機に、今の五常の成⾧を牽引するインドのマイクロファイナンス事業者への投資につながっているわけです。Satya の業績は投資後もとても順調だったので、同社の連結子会社化を見据えて、2019 年2 月にはシリーズC の調達も実施することができました。

出資を得て複数国への展開が進んだのですね。そもそもなぜ1 年で3 か国というハイペースで拡大を進めたのでしょうか。

複数国展開については当初からよく疑問を持たれたんですよね。なんで何か国もやるのか、1 つちゃんとつくってからの方がいいんじゃない、って。今も考えますよ。どっちがよかったのかなって。

でも、繰り返しますがこの事業はお金がなくちゃやっていけないわけです。資金調達するためには、投資家にとって魅力的なエクイティストーリーが必要です。最初にインドで始めて、インドでめちゃくちゃ大きくなってから他に行きますだったら、まず1 国集中で良かったのもしれないですが、インドやインドネシア以外、たとえばカンボジアでいくら大きくなっても規模に限界があります。それでは良いエクイティストーリーにならないんですよね。エクイティストーリーをつくるためには、どこでもやっていけますという証明が必要だったので、同時に3 か国やる必要があったんです。カンボジアだけのときはまだ大丈夫だったんですが、複数みることになってからがすごく大変でしたね。

この事業ならではのハードなポイントですね。マイクロファイナンスの仕組み自体は元々あるけど、それを束ねるというのが、慎さんの新たな試みだったわけですね。どのような点が大変だったのでしょうか。

そうですね。ぐるぐると各国を回ってたんですが、1 週間ずつしか居られないので、「ここは解決したな」と思っていても、3 週間後に戻ってくると、また「どうしたのこれ」状態になっちゃっている。もぐらたたきの気分でした。

カンボジアでは全部見えていたのに、国が離れていると一気に難易度が上がる。カルチャーの違いだけでなく、金融は規制業種なので国ごとに当局も違うし、そうすると実務もインフラも違います。
3 カ国同時に見なきゃいけないうえに、五常の方では資金調達も進まなくて。グループ会社の社⾧から、お前が金を持ってくるから一緒にやろうと言ってたんじゃないか、最初と言ってることが違うじゃないか、と言われました。

最初の会社は常勤の経営者、2 社目からはいわば投資家的な関わり方ということですね。複数国でロールアップのプラットフォームをつくることが慎さんの根源だと思うので、これは突破しなければならない壁ですね。どうやってブレイクスルーできたのでしょうか。

僕の自己評価、すなわち自分で何でもやるという全能感を失ったというか、自分の無能を思い知った瞬間に、良い人が来てくれるようになり始めて、事業が回るようになりました。自己評価が下がってから採用がちゃんとできるようになっていったんですよ。これが資金調達に続く2 つ目のブレイクスルーです。

なぜ自己評価から解放されたのでしょうか?

当時まだインドへの展開が始まったばかりのタイミングでしたが、ファンドレイジング用の資料で50 カ国展開すると書いてたんです。飛行機の中、今も覚えてます。JAL の非常口座席で展開する候補国リストをPC で見てて、これ、各国巡回してるだけでもしんどいのに、50 カ国ってどうすんだっけ、みたいな。ふと我に返ってみたら、これ自分でやるの無理じゃん、と。それでやってくれる人を探そう、と考えるようになったのが変化のきっかけですね。

あとは、物事を自分でコントロールしようという考え方を捨てました。みんなに任せるようになってから、優秀な人が、ここなら自由度高くできると思って入ってくれるようになったと思います。

任せることにしたことで、スケールができるようになったと。

そこからプロフェッショナルファーム系の方なども入るようになって、五常を大人の組織にしてくれました。組織オペレーションや人事育成も設計して、複数の会社をマネージする仕組みも構築してくれました。五常のフェーズ2 がスタートした瞬間でしたね。

ここから、世界中でマイクロファイナンスを束ねて、同時に展開するという最初の構想が実現していったのですね。とにかく信じて、やり続けるということで正解にしていく、という信念と執念を慎さんのエピソードから感じます。

最後に、次に続く起業家へメッセージをお願いします。

1 つは、何のためにやっているのか、に対する答えがないと、辛い時に前を向けないので、それを持つことですね。ヴィクトール・フランクルが「夜と霧」という本の中で、ニーチェの「なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える」という言葉を紹介しています。僕は、WHY に対する答えを持っている人は、いかなるHOW にも耐えられると思っています。

2 つ目は、起業家の友人の存在の大きさですね。会社の困ったことを何でも相談し合える起業家の仲間には、何度も助けられました。ピカピカに見えている会社も、実際は辛いことが多い。そういうことを話せる人や場所があることは救いになります。

最後は、一喜一憂しないことです。サイバーエージェントの藤田さんの言葉ですが、「流れが悪くても腐らない。流れがよくても調子に乗らない」。どんな時でも、淡々としていること。粛々と取り組むことが大切だと思います。

正解があるんじゃない、
正解にするんだ。


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